It's a piece of cake!

英語のドラえもんコミックでドラえもんがのび太に言ったセリフ。幼い頃からわたしにとって魔法の言葉。わたしもこんな風に生きたい。

料理との出会い


フリーランスで働いてみて1か月。

なんでこんな生き方をしてるのだろう。

と、ふと思う時がある。10人いたら9人は3ヶ月ぐらいで生活できなくなるってきっと思うと思う。それぐらい今立ってる場所は難しい足場で、同じ歳で場所借りてお店してる人いないし、起業してる人もいない。流行ってたお店が空き物件になってるのを見ると他人事のように思えない焦燥感にかられる。

将来お店がしたいのかどうかも、分からないけど、ずっと料理をしていたい。今救われる瞬間は確かにある。


今のお店で社員をして3年。今年の4月に退職し形式上は独立。去年はずっと辞める方法をない頭とない時間で考えてた。

土日にインスタのストーリーに上がる周りの友達が羨ましくて。

それに引き換え私は朝から夜まで拘束。

この仕事をしてるから友達と遊べないし、ボーナスもないし。休みは週1か2。3連休は年に3回だけ。仕事のせいで生き苦しいと思ってた。

辞めて、マニュアルを覚えたら誰でもできるような、特に好きでもない仕事をしてカレンダーの日付が赤いときは友達と遊んで、3連休やGWは海外に旅行に行くことがいいなって。羨ましいなって。


飲食で働く=普通じゃない=底辺っていう世間の認識なのだと肌で感じた出来事がたくさんある。だから婚活とか合コンとか友達の紹介とかそういう場所は極力避けるように通ってきた。自己紹介の段階で俺飲食で働いてるとか無理だわーって言われたり、紹介された人とご飯食べに行っても、なんでそんな仕事してるのって言われたり。大きな会社で働いてる人が偉いの。価値観の違い。


私は第一印象で見下される世界にいる事実。音楽が好きな妹とよく行ってたEchoというバーなのかカフェなのか分からないお店があって、そんなに常連じゃないけど、いつも何かけようかと言ってくれる。音楽が好きな友達と行った日にどんな話の流れになったかは覚えていないが、おじさんがその日は何故かブルーハーツばかりかけてくれた。ブルーハーツの世界に救われた。それからブルーハーツばかり聞くようになった。甲本ヒロトさんがいなかったら今の私はいないと思う。


私の両親も親戚もいい会社に入って、結婚して、子どもを産んで、それが=安心=幸せと勝手に決めつけて押し売り。早くそんな仕事辞めて病院で働いたらと言う。テンプレートのような人生。それを真似たら幸せになれるのだろうか。


大学出て栄養士で小学校で2年働いた。給食を作るという子どもの頃からの夢が叶った。公務員だったからカレンダー通りで、世間的にもよくテンプレート通りだったけど、果たして一生ここに居て幸せなのだろうか。と思ったら辞めてた。料理の勉強がしたかった。


というのも、料理で感動した出来事がある。母方の祖母の家に行くといつも、手作りでお寿司を作ってくれて、煮魚や煮物や茶碗蒸しを作って出してくれる。それが毎回で、本当に美味しくて、子どもながらに幸せな瞬間だった。私もいつかこんなに感動してもらえるような料理を作れるようになりたいと思ってた。中1のときに母に「ばあちゃんはどうしてあんなに料理が上手なの」って聞いたらお魚屋さんだったから調理師免許とふぐの免許も持ってるって言ってた。

じゃあ、次会ったときに作り方を聞くって決めてたら、もう次なんてなかった。誰もそんなに早く旅立ってしまうと思ってなかったぐらい急に亡くなった。


それが料理の仕事をしたいと思ったきっかけ。今でも今はいない祖母の料理が目標。今年の3月に辞めることが決まったとき。地方のナイスタウンという雑誌の一面の表紙が私の料理になった月があった。本屋さんやコンビニで自分の作ったものが表紙になった雑誌が積まれ、不思議な気持ちになる。それが今年の2月。

3月はお客さんもいっぱい来てくれて売上も過去最高によかった。もしかしたらしたら私の料理は誰かに必要とされているのかも。と思ったときに


祖母は小学校の4年生ぐらいの時から「何も文句言わずに美味しいって言って食べてくれることが嬉しいの」と両親に気づかれないように500円玉をこっそり2枚くれた。ことをふと思い出した。


私は今お金をもらって料理をしてる。そんな場所があって、人が来てくれる。支えてくれる人や一緒に働いてくれる人がいることが幸せ。祖母は本当に料理が好きなんだと思う。今でも見守ってくれてるような気がするのは、環境で恵まれてるなとつくづく感じることがいっぱい。食べに来てくれる人がいる限りはやらないと、祖母ももっと料理を色んな人に食べてもらいたかったはずだから。最近はもっと料理が好きになった。










サヨナライツカ

自身のブログを書くのは大学生ぶりです。あの大学生のときに書いたブログ。今見返すと面白いだろうな^ ^


情報は人を動かすと信じています。多くの人に読んでもらえなくても、顔も知らない誰かの背中を、夜空を明るく照らす星のように生活を明るく照らすヒントになればいいなと思っています。日常で私が心を動かされたエモーショナルなよしなしごとをスマホに向かいてそこはかとなく書き綴ります。


サヨナライツカ。私の頭の中の消しゴムの監督の作品で見た後はちょっぴり切ない気持ちになりますが、死ぬ前に愛したことを思い出す人、愛されたことを思い出す人がいる。そして、その意味について描かれています。


この映画で「いつも人は、サヨナラを用意して生きなければならない。」とある。出会いがあれば別れは必然的に訪れる。当たり前のことですが、ごく最近まで私は別れを上手く受け入れることができませんでした。サヨナラはイツカくるこわいものだと。幸せなはずの時間も、私の頭の中はいつもサヨナラと隣合わせでした。イツカ来るお別れ。サヨナラがこわいから誰とも付き合わず生きて行こう。孤独と友達になろう。そう思っていました。そして、そんな自分が大嫌いでした。


しかし、最近、ある人との出会いでそれが大きく変わりました。


まず、自分の人生を振り返ってごらん。


家族。

友達。

前の職場の人

仕事で出会った人。

私を支えてくれた人。

好きになった人。

私に好きと言ってくれた人。

他にもたくさん。


今の私に無駄な出会いなんて一つもなかった。


人はサヨナラを用意して生きなければならないけれど、そのコンニチハとサヨナラには必ず意味がある。


「互いの人生に必要な時、

必要な時間だけその人生は交わる。

そして、それぞれの役割が終わった時

またそれぞれの道を歩む。

互いのもつメッセージを相手に伝えるために」


この言葉で私は救われた。


出会いは自分を変えてくれる。

出会った人それぞれのメッセージを受け取りそれを繰り返す。イツカ別れは訪れるけれどその別れが辛いほど、そのメッセージは強く心に残り、そして次に、私を必要とする人が私を見つけてくれる。


出会いとは不思議なもので、自分に必要な時、自分に必要なタイミングでお互いに必要な人と交わり、人は大きく成長する。


人と人との結びつき。出会いは素晴らしいものです。当たり前のことですが、ひとつひとつの出会いを今まで以上に大切にしようと思いました。